上代 たの先生
クリックすると略年譜を見ることができます。上代たの文集 1984年 上代たの文集編集員会 発行より
読書の方向づけについて(『ライブラリー70号より』)
- 先人の生きざまに広くふれてほしい。(伝記等)
- 世界的視野と人類史的展望をもってほしい。
(探険記、発明発見物語等) - 他民族を理解し、地球は一つ、全人類社会の共栄に努めてほしい。
(他民族の思想や文学に関するもの)
略年譜
1886年(明治19年) | 7月3日 島根県大原郡春殖村大字大東下分1176番地に、上代豊三郎、わきの次女として生まれる。 | |
1893年(明治26年) | 6歳 | 4月 大東下分尋常小学校に入学。1896年3月、卒業。 |
1900年(明治33年) | 13歳 | 4月 島根県松江市高等女学校2年に編入学。 |
1903年(明治36年) | 4月 同校補習科に入学。 1904年3月、卒業。 | |
1904年(明治37年) | 17歳 | 4月 大東尋常小学校にて教鞭をとる。 |
1905年(明治38年) | 18歳 | 4月 日本女子大学校英文学部予科に入学。 |
1909年(明治42年) | 23歳 | 12月24日 暁星寮の寮監ミス・イー・ジー・フィリップスの導きにより、東京市牛込区矢来町 |
(現 新宿区矢来町)の聖バルナバ教会(聖公会)において洗礼をうける。 | ||
1910年(明治43年) | 24歳 | 3月 日本女子大学校英文学部卒業。 |
4月 日本女子大学校英文学部予科で英語を教える。 | ||
成瀬仁蔵校長を助けて英語雑誌「ライフ・アンド・ライト」の編集にたずさわる。 | ||
1913年(大正2年) | 27歳 | 9月 ニューヨーク州ウェルズ・カレッジに入学。英文学を専攻。 |
1917年(大正6年) | 30歳 | 6月 同学より修士の学位をうける。フィニックス文学会員に推される。 |
31歳 | 7月 帰国。 | |
9月 日本女子大学校英文学部教授に就任。英文学を担当。 | ||
1918年(大正7年) | 32歳 | 4月 社団法人桜楓会理事に就任(~1924)。 |
1923年(大正12年) | 37歳 | 皇太子妃に内定していた久邇宮良子女王殿下に、数回にわたり米文学のお話を申し上げる。 |
1924年(大正13年) | 38歳 | 9月 ミシガン大学大学院に入学。主として19世紀の英文学を修める。 |
1925年(大正14年) | 39歳 | 9月 ケンブリッジ大学ニューナム・カレッジ研究科に入学。現代英文学を修める。 |
1926年(大正15年) | 40歳 | 7月 イギリスならびにヨーロッパの教育施設と文学史蹟を視察。 |
この夏、ジュネーブで新渡戸稲造、ジェーン・アダムスらと交わり、クェーカー主義につよく惹かれる。 | ||
8月 ダブリンで開かれた婦人国際平和自由連盟の会議に出席。初めて日本支部としての | ||
報告をおこなう。翌年3月に帰国。 | ||
1933年(昭和8年) | 46歳 | 6月 Fifty American Poetsを開隆堂書店より出版。 |
47歳 | 9月 ウェルズ・カレッジの推薦によりPhi Beta Kappa会員となる。 | |
1936年(昭和11年) | 50歳 | 11月 『リー・ハント』(研究社英米文学評伝叢書41)を出版。 |
1939年(昭和14年) | 53歳 | 7月 Poems for Young Peopleを開隆堂書店より出版。 |
1946年(昭和21年) | 59歳 | 4月 財団法人私立日本女子大学校理事に就任。 |
1947年(昭和22年) | 60歳 | 5月 社団法人桜楓会理事に再就任(~1954)。 |
9月 財団法人日本国際連合協会設立委員。 | ||
1948年(昭和23年) | 61歳 | 1月 アメリカ学会理事に就任(~1950)。 |
1949年(昭和24年) | 62歳 | 1月 マサチューセッツ州ミス・カレッジ、ニューヨーク市コロンビア大学に学ぶ。アメリカの諸大学 |
を視察。10月に帰国。 | ||
1950年(昭和25年) | 63歳 | 復活節 基督友会東京月会へ入会。正式にクェーカー教徒となる。 |
1951年(昭和26年) | 64歳 | 3月 学校法人日本女子大学理事に就任。 |
5月 婦人国際平和自由連盟(WILPF)の日本支部会長に就任(~1956)。 | ||
1952年(昭和27年) | 66歳 | 8月 財団法人国際文化会館の設立に参画し、理事に就任。 |
8月 日本ユネスコ国際委員会委員に就任(~1961年)。 | ||
1955年(昭和30年) | 69歳 | 11月 世界平和アピール7人委員会を創設。 |
1956年(昭和31年) | 4月 日本女子大学学長に就任(~1965年)。 | |
6月 ヨーロッパ、アメリカの大学教育事情を視察。 | ||
70歳 | 8月 イギリスのバーミンガム市で開かれた婦人国際平和自由連盟総会に、第二次大戦後 | |
初めて日本代表として出席。10月帰国。 | ||
1957年(昭和32年) | Asia and The Western World がThe Melbourne Peace Committeeより出版される。 | |
1960年(昭和35年) | 74歳 | 9月 国際基督教大学評議員に就任。 |
1962年(昭和37年) | 75歳 | 4月 財団法人大学セミナー・ハウス理事に就任。 |
6月 スミス・カレッジより名誉法学博士の学位をさずけられる。 | ||
12月 藍綬褒章をさずけられる。 | ||
1963年(昭和38年) | 76歳 | 3月 財団法人英語教育協議会理事評議員に就任。財団法人野村学芸財団理事。 |
4月 「小さな親切運動」の創立に参画。 | ||
1964年(昭和39年) | 77歳 | 11月 勲三等宝冠賞をさずけられる。 |
1965年(昭和40年) | 78歳 | 3月 日本女子大学学長を退任。4月、名誉教授。 |
6月 日本女子大学図書館友の会を設立。会長に就任。 | ||
1966年(昭和41年) | 79歳 | 4月 国際基督教大学理事に就任(~1971年)。 |
80歳 | 7月 学校法人普連土学園理事長に就任(~1972年)。 | |
80歳 | 10月 日本女子大学大学院に上代タノ奨学金を設定。 | |
1967年(昭和42年) | 1月 「新渡戸稲造先生に学ぶ」(1966年度新渡戸記念講演)が基督友会日本学会より刊行される。 | |
1968年(昭和43年) | 81歳 | 6月 ウェルズ・カレッジ創立百周年に際して、卒業生中より選ばれてAlumnae Award(卒業生賞)をさずけ |
られる。 | ||
1971年(昭和46年) | 85歳 | 12月 日本女子大学創立70周年記念に、同大学図書館へ上代平和文庫を寄贈。 |
1973年(昭和48年) | 87歳 | 10月 財団法人日本国際連合協会の推薦により外務大臣から表彰(銀杯)を受ける。 |
1977年(昭和52年) | 91歳 | 8月 国際平和自由連盟の第20回総会(東京)において、「軍縮と発展」と題する講演。 |
1981年(昭和56年) | 94歳 | 1月 日本女子大学English Speaking Society主催の全国大学スピーチ・コンテストに、上代杯が |
設定される。 | ||
10月 名誉都民に推挙される。 | ||
1982年(昭和57年) | 95歳 | 4月8日 急性心不全のため逝去。従四位に叙せられ、勲二等瑞宝章をさずけられる。 |
5月8日 成瀬記念講堂にて日本女子大学葬。 | ||
5月11日 島根県大原郡大字大東の宗専寺に埋葬。 | ||
1983年(昭和58年) | 4月23日 日本女子大学英文学科、図書館友の会共催で、追悼会が国際文化会館にて催される。 | |
5月28日、29日 大学セミナー・ハウス主催で、故上代たの先生追悼記念会および「平和・婦人・ | ||
学問」をテーマとして追悼記念セミナーが催される。 |